【週末コラム】正しい言い訳の作り方

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2011/10/08 11:59 投稿先 98.週末コラム 投稿者 カワサキ タカシ

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先日Amazonで奥田英朗氏のエッセイを4冊買った。「延長戦に入りました (幻冬舎文庫)」「泳いで帰れ (光文社文庫)」「野球の国 (光文社文庫)」「用もないのに」の4冊である。奥田英朗氏と言えば「イン・ザ・プール (文春文庫)」とか「サウスバウンド 上 (角川文庫)」とか、映画化されたような作品も数多く書かれているバリバリの直木賞小説家さんなのだが、「人違い?」と思うほどの脱力系エッセイを書かれていたりもする。この4つはそんな脱力系の方の作品達だ。

インターネットでモノを買うのには一切抵抗の無いワタシだが、Amazonで3冊以上同時に本を買ったのははじめてだったりする。本は本屋で立ち読みして決めたいタイプなのだ。
ポチポチポチと買い物かごに入れて、買い物かごを覗く。うーむ、軽めの罪悪感。この他にも数冊エッセイがあることは確認しつつ、購入ボタンをポチリと。とりあえずね。全部一気にってのもね。そのうちの1冊(延長線に入りました)はウチの本棚から無くなってたから買い戻すだけだし。誰に向けているかわからない言い訳をひとりごつ。

ブログと本というのは微妙に書き方が違う。ブログなら「行間」と「テキストカラーやサイズ」「太字や斜体の装飾」が気軽に行えるため、数行分改行で空白を作り、大きな赤字でオチ。なんて書き方が基本になる。ワタシのブログでも、「こういうオトし方ならこのパターンの文字装飾」というのが決まっていて、取るに足らない(取るに足らないて)「朝机の角に小指をぶつけた話」を、ブログ風デコレーションで「クスっと笑える」くらいのネタにトランスフォームしてしまったりする。
ところが、本の場合はそうもいかない。本というものは基本的に限られたスペースしか無く、改行による「間」や文字装飾による「面白ポイント」が作れないのである。例えて言えばテロップの嵐のお笑い番組をラジオで聴かせるようなもので、場合によってはクスリともさせられない可能性が出てきてしまう。芸能人のブログをそのまんま本にしてしまっているものを見たときのあの違和感。アレの正体がコレである。ヘイブラザー。

そんなわけで。うっかり引き受けてしまったサルでき本を書くために、文章の体裁を本っぽくしなければいけなくなったワタシが真っ先に考えついたのが「好きな作家をパクる」という身も蓋もない方法であった。はっはっは、どーだわかりやすいだろう。パクるウデがあるかどうかは横に置いておく。
ちなみに前回のサルでき本執筆の時には「紅茶を注文する方法 (文春文庫)」の土屋賢二氏の本を身体に叩き込んでからスタートしたのだが、この土屋氏。さすがに御茶ノ水女子大教授なだけあって、トボけた文章なのにオチまでのルート構築にまったくの隙がなく、真似ようとすればするほどオチまで辿りつけないという悪循環が発生して断念した。羊の皮をかぶった大学教授というのは非常に厄介な存在なのである。いや、だからってわけじゃないですよ。奥田先生。

ワタシは本を読む方の人間である。あ、いや、訂正。読む方だった人間である。幼稚園時代から何故かウチに転がっていた世界童話全集を読み漁り(小学校1年生ではじめて国語の教科書を見て、そのあまりの簡単さに「コレは何だ…?」と思った記憶が今でも残っている。全国のパパママのみなさん、オススメですよ)、中学校で起きた三国志ブームの時に横山光輝版(マンガ)を買ってもらえなかったので吉川英治版を読み漁り、そのまま「項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)」を橋渡しに司馬遼太郎に移行。中学生にして司馬史観を語ってしまう糞生意気な小僧だったのである。お友達のみなさん。ごめん。
おかげで現国の成績はなにもしなくても常に天井に張り付いており、英語がサッパリわからないのは「きっと国語にアタマのメモリーを使い過ぎているからだろう」という勝手な屁理屈を自分で信じてしまうほどの威力を発揮した。三つ児の魂百まで。そうだ、日本語を書くなら日本語を読めばいいじゃない。

今回はこの4冊を読み込んで、書こうと思います。
お笑いエッセイですが、歴とした資料です。

しめて3,147円。新聞図書費、と。

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